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貝原益軒「養生訓」と現代医学を融合「元気に100歳」を社会運動に(3)

 I・B企業特報 2019.12.16 No.11 掲載


 原土井病院理事長・「元気100倶楽部」会長 原 寛 氏


出版などを通じて新老人運動を広げる

 「新老人の会」への入会者を増やすため、原氏は2009年に『新老人のすすめ 人生百年の生き方』を出版した。東京オリンピック前年の1963年には153人しかいなかった「百寿者」(100歳以上)が出版時には4万399人と驚異的に増えていた。最新の統計ではすでに7万人を超え、「人生100年時代」は現実のものとなってきている。

 

 出版から4年後の2013年には、活動の拠点とするため博多区の商業ビルの地下フロアに、健康情報の発信サロンをオープンした。地元福岡藩の儒学者で、江戸時代中期に「養生訓」を書いた貝原益軒の生き方にあやかろうと「博多養生処」と命名した。ちなみに益軒はもともと虚弱体質だったが、健康に気をつけて養生の術を実践し85歳まで長生きした人で、養生訓は当時ベストセラーとなった。

 

 原氏自身も益軒が養生訓を書いた時と同じ83歳になったのを機に、本格的に養生訓の研究を始めた。「医学は人間が元気で長生きできることを助ける学問」というのが原氏の持論で、「病気をしない」「健康を増進する」「老化を遅らせる」ことが重要と考えていた。養生訓は生活習慣の大切さを説き益軒自身が実践したもので、300年の時を経ても通じるポイントが数多くあった。そこで原氏は現代医学の良い点を取り入れて養生訓を現代風にアレンジし、自分流に「現代養生学」と名付けて2015年に同じタイトルで出版した。

日野原氏の死後、新しい団体を設立

 100歳を超えてもかくしゃくとしていた日野原氏だが、2017年は毎年福岡市で開いていた支部フォーラムに体調不良で欠席。心配する原氏に2ヵ月後、日野原氏の訃報が届いた。105歳。「新老人の会」の立ち上げから18年、新老人の理想的な生き方を最後まで示しながらの旅立ちだった。

 

 全国の支部が「ポスト日野原」を模索するなか、原氏は日野原氏の遺志を継いで「現代養生学」を広めるべく、2018年4月新しく市民団体「元気100倶楽部」を立ち上げた。もちろん旧福岡支部の会員も大半が合流した。

 

 原氏は別掲のように養生の秘訣を説き実践しているが、最後に日野原氏の教えと貝原益軒「養生訓」の共通性を紹介する。

 

●日野原=習慣が人をつくる。心もからだも

●養生訓=凡(およそ)よき事、あしき事、皆ならひ(習い)よりおこる

 

●日野原=健康になるためには知性が必要であり、技術も必要である

●養生訓=生を養い、命を保たんと思えば、その術を習わないなどということはありえない

「支えられる側」から「支える側」へ

 日本はやがて3人に1人が65歳以上の高齢者になろうとしている。日本人が20世紀の延長で今のままの生活習慣を続けていると、医療・介護費が社会の負担になり、現在の社会保障制度はとても維持できない。

 

 また、1961年当時は8.19人で高齢者1人を支えていたが、2016年には1.86人で支える構図となっている。これからの高齢者は若い世代に甘えるばかりではいけない。健康に気をつけ、深刻な人手不足を補う労働力として働いたり、身近なボランティア活動に参加したりして、「支えられる側」から「支える側」へ回り、国の財政破綻を回避する必要がある。

 

 そのためには、男女とも70歳前から低下する自立度をいかに維持し、生活習慣(食事と運動)をどうすべきか国民に意識づけをして、「元気に100歳」を社会運動として広めていかなければならないと原氏は真剣に考えている。

 

 原氏は毎日朝5時に起床。6時に病院に出勤し、新聞7紙を読み込む。食事は野菜たっぷりの味噌汁に少量の麦ご飯。納豆と卵は欠かさない。こうして先人の教えを受け継ぎ、健康寿命の「理念と養生術」を日々実践する原氏こそ、現代の究極の“養生の達人”といえるのではないだろうか。

(了)

【本島 洋】


<プロフィール>

原 寛(はら・ひろし)
 1932年福岡市生まれ。1963年九州大学医学部卒業後、勤務医を経て1968年、35歳で市内東区に「原土井病院」を開設、理事長に就任する。1975年原看護専門学校を設立。高齢者医療一筋に東区の拠点病院として発展させる。現在556床。2005年(福)「多々良福祉会」理事長。2006年、74歳で病院長職を退き現場と一線を画す。一方、故・日野原重明(聖路加国際病院名誉院長、105歳で死去)が2000年に立ち上げた「新老人の会」に共鳴。翌年、全国第1号となる九州支部を設立し、以来九州のリーダー役として活躍。毎年1回日野原先生を招いて福岡市でフォーラムを開催。2017年の日野原氏死去後は、遺志を継いで2018年に市民団体「元気100倶楽部」を立ち上げ、講演・出版など健康長寿運動に奔走中。主な著書に「博多に生きた藩医」「原三信と日本最古の翻訳解剖書」「新老人のすすめ」「人生100年時代の養生学」「現代養生学」「新・養生訓」「チャレンジ! 私の人生百年計画」など多数。